2008年1月27日日曜日

「マタギがもっともマタギらしく活躍できたのは、グローバルな大正時代だった」(熊谷達也)




今朝の日経文化欄で直木賞作家でナチュラリストっぽい熊谷達也が名言。大正時代、当時のヨーロッパで毛皮が枯渇したことに日本軍のシベリア出兵が重なって毛皮の値段が高騰し、マタギの生活が成り立ったのだという。「マタギの世界も、世界経済とは無縁ではなかった」とのこと。多くのニッポンのナチュラリストは外国人を追い出してニッポン人は日本列島に引きこもりさえすれば自然派生活が可能になると考えているようだが、噛みしめるべき言葉である。

他にもいいことをおっしゃっている。抜粋:
  1. 団塊の世代を中心にリタイヤ組を山村や農村に呼びこむべく取り組みがなされているが、この動きには、かなり大きな疑問がある。
  2. かりにある程度呼び込めたとして、この先20年後、30年後を考えると果たしてどうか。団塊の世代の子どもや孫たちが同じように山住生活を望むことはないように思う。一時はよくてもまた過疎に逆戻り。一層高齢化に拍車が掛かり、医療費やなんやら自治体の負担はふくれ、見るも無惨な状況に陥ってしまうのではないか。
  3. ようするに、山村に暮らすと言うことは、その土地でなにかを生産し、生活の糧を得ることなしには成り立たないのである。

「ニッポン文化の担い手」を自認し「守られるべきだ」と主張する山村の農業にしても同じことだ。もちろん続けられても結構。伝統的な、大正グローバル時代以前のマタギのような生活(つまり縄文生活)を送るとおっしゃるのであれば言うことはない。電気も水道も医療もなんにもなしだ。いやそれは必要だというなら、その分は稼いで貰わないと困る。

Posted: Sun - January 27, 2008 at 04:26 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集   Previous   Next   Comments

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